広陵町の靴下百年史のご紹介
弊社のある奈良県・広陵町は、靴下生産量が日本一の地域です。
広陵町の靴下づくりが始まって100年になるのを機に広陵町靴下組合で百年史の編纂事業が始まり、2年を経てこのほど「広陵町の靴下百年史」が完成しました。今回はその内容を少しご紹介します。

百年史は靴下の編み機で編んだかわいいカバーで包まれています。
広陵町は奈良県の北西部に位置し、この地域で靴下づくりが始まった背景には、江戸時代から作られていた「大和木綿」と呼ばれるワタの栽培、綿糸製糸、木綿織物がありました。この辺りの地域で、なぜ木綿が盛んに栽培されていたかというと大和盆地は常に水不足に悩まされ続け、少ない米の生産量を補うために機織りで工賃を得ていたからです。

明治時代に入り、海外から近代的な紡績技術が導入され、紡績機にかかりやすい毛足の長いインド綿が大量に輸入されるようになり、日本のワタ作りは一気に衰退したといわれています。近代化が進むなか、馬見村疋相の吉井㤗治郎が目をつけたのが靴下製造でした。吉井家はかせ屋(糸商)を営み㤗治郎はアメリカにも視察に行ったといわれており、機織りに代わる仕事として靴下製造を始め、靴下作りは疋相から周辺の地域に広がっていきました。

吉井㤗治郎(写真右)と靴下創業期の手回し編機(写真左)。
百年史は広陵町の靴下づくりの歴史を記録として残すことと、産業史として歴史を学ぶ中から将来を切り開くヒントを探る目的で編纂されています。産業史としてまとめた章と、靴下を一つの文化と捉え靴下の歴史としてまとめた章の2つが柱となっています。靴下作りが始まる以前の綿づくりや木綿織りの時代まで遡り、靴下にまつわる国内外の事柄も盛り込まれています。


ご希望の方は広陵町商工会に申し込むと協力金2千円で入手可能です。広陵町商工会(電話:0745-55-3535)
広陵町の靴下づくりが始まって100年になるのを機に広陵町靴下組合で百年史の編纂事業が始まり、2年を経てこのほど「広陵町の靴下百年史」が完成しました。今回はその内容を少しご紹介します。

広陵町は奈良県の北西部に位置し、この地域で靴下づくりが始まった背景には、江戸時代から作られていた「大和木綿」と呼ばれるワタの栽培、綿糸製糸、木綿織物がありました。この辺りの地域で、なぜ木綿が盛んに栽培されていたかというと大和盆地は常に水不足に悩まされ続け、少ない米の生産量を補うために機織りで工賃を得ていたからです。

明治時代に入り、海外から近代的な紡績技術が導入され、紡績機にかかりやすい毛足の長いインド綿が大量に輸入されるようになり、日本のワタ作りは一気に衰退したといわれています。近代化が進むなか、馬見村疋相の吉井㤗治郎が目をつけたのが靴下製造でした。吉井家はかせ屋(糸商)を営み㤗治郎はアメリカにも視察に行ったといわれており、機織りに代わる仕事として靴下製造を始め、靴下作りは疋相から周辺の地域に広がっていきました。

百年史は広陵町の靴下づくりの歴史を記録として残すことと、産業史として歴史を学ぶ中から将来を切り開くヒントを探る目的で編纂されています。産業史としてまとめた章と、靴下を一つの文化と捉え靴下の歴史としてまとめた章の2つが柱となっています。靴下作りが始まる以前の綿づくりや木綿織りの時代まで遡り、靴下にまつわる国内外の事柄も盛り込まれています。


ご希望の方は広陵町商工会に申し込むと協力金2千円で入手可能です。広陵町商工会(電話:0745-55-3535)
by yamayafactory
| 2013-06-18 13:19